札幌地方裁判所 昭和39年(む)202号 判決 1964年2月19日
被疑者 武内こと武田金太郎
決 定
(被疑者氏名略)
右被疑者に対する詐欺被疑事件について、昭和三九年二月一五日札幌地方裁判所裁判官高升五十雄がなした勾留請求却下の裁判に対し、検察官から準抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件準抗告の申立を棄却する。
理由
本件準抗告の申立の理由は、別紙準抗告申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
本件記録によれば、被疑者が本件勾留請求の基礎とされている被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当な理由のあることは明白である。
そこで、以下記録に基づき刑事訴訟法六〇条一項各号に定められた事由の存否につき検討する。
本件は、いわゆる無銭飲食による詐欺であるところ、被疑者は現行犯人として逮捕され、かつ捜査官に対し、その外形的事実並びに欺罔の犯意を素直に自供しているのであるから、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由の存しないことはいうまでもない。
ところで、この種事犯はしばしば常習的に繰り返されるのが通常であるところ、被疑者は老令(現在五十才)で身寄もなく、八・九年前から札幌市内で、日雇として単身生活を立てるという境遇にありながら、何ら前科はなく、一時の出来心から本件犯行に及んだものと窺われるふしが少なくない。幸い被害額(時価約五一〇円相当)も僅少で、被疑者自らこれを弁償することも十分に期待されるところである(なお、勾留質問調書によれば、被疑者は勾留質問の際、裁判官に対して時計を質入して弁償したい旨の意向を述べている)。確かに、検察官指摘のとおり、被疑者は定まつた住居もなく、札幌市豊平付近の安宿を転々としているものではあるが、もともと、刑事訴訟法六〇条一項一号、三号の規定はいずれも被疑者の公判ならびに捜査の際における不出頭のおそれ(とくに、捜査手続もまた当事者主義的な観点から、その構造を把握すべきであることにかんがみると、主に公判段階における不出頭のおそれに重点をおいているものと解する。)を類型化したものというべきであつて、前記の如き被疑者の現在の境遇及び生活状況にてらすと、被疑者に対して、いわゆる定まつた住居を求めるということ自体が、事柄の性質上著しい無理を強いるものといわざるを得ず、より実質的な見地に立つて叙上のごとき不出頭のおそれを判断することなく、ただ単に右各号に形式的に該当するからというだけのことで直ちに被疑者を勾留しなければならないと考えるのは、あまりにも形式的な論法であつて、到底賛同しがたい。むしろ、右に触れたような一連の事情からすれば、被疑者に今後の連絡に遺漏のないよう当分の間の宿泊先を特定する等、捜査官の側で適当な処置と工夫を講ずれば(勾留質問調書によれば、被疑者の住居の記載があるが、この記載は、おそらく、勾留処分をなす裁判官において右のような趣旨にそう質問の結果判明した被疑者の今後の落着先と思われる。)、被疑者の不出頭のおそれを防止する方法をとることにいささかの困難もなかつたと推測されるのである。
以上の次第であるから、本件において、被疑者を勾留すべき必要性はこれを肯認するに足る資料がなく、検察官の勾留請求を却下した原裁判は正当であるから、本件準抗告は理由がないものとして棄却を免れない。
よつて、刑事訴訟法四三二条、四二六条一項により主文のとおり決定する。
(裁判官 辻三雄 角谷三千夫 東原清彦)